カメルーン派遣の青年海外協力隊員が抱える葛藤・違和感

協力隊活動

bonjour!!

今日は活動が早めに終わったんですが、家に帰って一息ついている時にふと

「俺何しにここに来たんだっけ」

そんな考えが頭を支配し始めまして、

「自分が居てもいなくても何にも変わんないんじゃないか」

「自分に何ができるんだろう」

考えれば考えるほど自分の存在価値がどんどん薄まっていてしまったんです。
もう完全に負のサイクルに陥りました。(笑)
協力隊あるあるといえばあるあるなのかもしれません。

学生時代友人に「お前悩みねーだろ」と言われ、
それに対して「悩みくらいあるわ!!」と逆ギレした私。でもよくよく考えたら深く悩んでいることは確かに無かった笑。

これといって感情の起伏が激しい訳でもない27年の人生を送ってきた私が、
ここにきて深めに考え込み身動きがとれない状況に陥りました。

そんな時にふとこの言葉を思い出しました。「風の人」「土の人」という言葉です。少し紹介させて頂きます。

「風の人」「土の人」

すごく好きな言葉で「風土」という言葉の考え方なんですが、

風の人=私たちよそ者
土の人=現地の人々

「風の人」「土の人」のそれぞれが合わさってその土地の風土が築きあげられる。

我々協力隊員は確かによそ者だけど、現地の人間だけだとその土地の風土は築きあげれない。

「僕たちよそ者が関わっていってもいいんだ」

と凄く勇気をもらえる言葉なんです。少し自分の存在価値が高まります。
自分みたいな人間が一人くらいはいないと!!そう思わせてくれます。

ちなみに「風土」の言葉の意味を整理しておきますと 

・その土地の気候・地味・地勢などのありさま
・人間の文化の形成などに影響を及ぼす精神的な環境   引用:デジタル大辞泉

ここでいう風土の意味は後者を指します。日本ではこっちの意味で使われてることが多いんじゃないかなきっと。
コミュニティ開発の技術補完研修で講師の先生に教えてもらった言葉なんですけど、コミュニティデザイナーの山崎亮さんの

「ふるさとを元気にする仕事」

でも触れられている是非読んでみてください。ちなみにこの本めっちゃお勧めです。

僕達、青年海外協力隊員の存在意義

逆を言えば僕達、青年海外協力隊は所詮「風=よそもの」にしかなれないんですよね。2年間と限られた期間の中で活動し、いずれはその場を去っていく。
限られた期間だからこそ、協力隊員が離れてからも継続できるような活動・仕組み作りが必要だ。とよく言われます。でもこれって言葉でいうほど簡単なもんじゃない。

僕の場合、最初から「自分一人じゃ何にもできない」って諦めてる節があるんですよ。だからこそカウンターパートもそうだし、地域住民にめっちゃ頼る。
でも結果的に、周りを巻き込んだ活動ができているのも事実。

「あんた頼りないから、私がやってあげる」

自分がいなくなってからも継続的な活動にするためには、
取り組んでいる活動を他人事から自分事に考え方変えてもらわなきゃいけない。
だから、こういう主体性の促し方も一つ手ではあるんじゃないかなと思います。
もちろん、頼りっぱなしの活動にする訳ではありません。
僕だってやるときはやる男です。(多分笑)

配属先の人達は仕事に対するモチベーションは決して高くない。
頑張らなくても、時が経てば昇進していく。日本もそうかもしれないけどそれ以上に受身姿勢な人が多い。それがここカメルーンの公務員。民間企業で働く人や農業で働く人達は別の話だけど。。。。でも、

「やろうよ。これがやりたいんだけど。。。」

その理由だったり、自分の意思を示せばブーブー言いながらもなんだかんだで協力してくれる僕の周りの人達は。今まで、村の巡回をしたくて僕の方から
「村に行きたいから連れっててくれ」

としつこい程に言っていましたが。先日初めてカウンターパートから

「Taka!!今日は、村に巡回行くよ」

と言ってきてくれました。どういう心境の変化だよと思ったけど。
素直に嬉しかった。

これも一つ、私たち、風の人=よそものがもたらした変化だと思ってます。小さいことかもしれないけど、僕達協力隊員ができるのはこうした小さい積み重ねなんじゃないかなーと思うわけです。

青年海外協力隊員として、僕が感じる違和感。

協力隊員に限らずだけど、

「現地の人間は時間を全く守らない」

「現地の人間は仕事しない。ダメだ」

「民度低いわ〜」

なんか一例だけど、こういうネガティブな言葉を普通に言ったりする。
本心ではなく、現地での生活にストレスを感じたりちょっとしたガス抜き感覚で言うならまだしも、本当にそういう考えで活動している人達って結構いるんだなぁーっと。すごい違和感を感じます正直。

だってそれって日本の価値観を前提に考えてるからでしょ?

現地は違って当たり前。現地には現地の価値観がありますやん。
日本人の価値観と現地の人の価値観はぜんぜん違う。理解しようとしても無理なのかもしれない極論。

「みんな違ってみんな良い」

そうでしょ?

こういう現地の人間へのリスペクトを欠いた言動を僕達のようなボランティアは特にしてはいけないよなーと思いますし、常々自分にも言い聞かせてます。。
そりゃムカつくときもありますよ正直。

「ニーハオ中国人!!お金ちょうだい」。

日本人です。てかお前誰やねん笑。

ビール奢れ!!今日は俺の誕生日だから

絶対うそやん。てかお前誰やねん笑

こんなことの繰り返しです日々笑。彼ら=現地の人っていうくくりじゃなくて
日本にもこういう変な人いるもんなくらいの感覚で見てます。
どういう心境でそういうこと言ってくんだろうと考えたこともあったけど、あんまりうまく理解できませんでした(笑)

「日本ではこうだから。。。」

日本人の考えをベースにするのはもう辞めなきゃいけないなと。日本人としてずっと育ってきたから難しいことなのかもしれないけど、そういう意識があるうちはまだ大丈夫な気がしてます!!

現地の人と同じ方向を見て活動をする

これはコミュニティ開発の研修でしつこく言われたこと。そのためにはまず現地の生活にどっぷり浸かる。彼らと寝食をともにするくらいの勢いで、現地に入りこむ。じゃないと現地のニーズは掴めないし、掴んだと思っても現地の人からしたら必要ないことだったりする。そういったミスマッチを防ぐためにも、

「現地の人と同じ方向を見て活動をする」

っていう考え方はすごく大事だなーと思ってます。同じ目線なだけじゃダメで、向いている方向まで合わせていくイメージ。良いイメージ図があった笑

特に僕の職種「コミュニティ開発」として、派遣される私たちは学校の先生や農業隊員の人達と違って専門性を持ってる人がほどんといない。だからこそ、積極的にこれくらいの勢いでやっていかないかなきゃなぁ〜と。

大学院卒、博士課程在籍中です

っていう強み・専門性があるスーパーマンもいるけど僕の感覚で言うと全体の10%に満たないくらい。 こと僕に関しては何の専門性もない。英語が少し話せるのと、食品メーカーの営業を3年経験したくらいのそんなレベル。
だから、最初から大それたことができるなんて微塵も思っていない。
自分の人生経験のためっていうのが正直な所。
でも、カメルーンに来る前から決めてることはあってそれは

—彼らにとっての日本のイメージをいい方向に変えたい(日本が好きだから)。

彼らの生活に何らかの+αを与える。

—全力で活動に取り組む。

当たり前のことかもしれないけど、そんな当たり前のことを忘れずに2年間頑張っていきます。

コメント